オトグス専科では 『半径2メートルの幸せ』 のために、是非とも身近に置いておきたいアイテムの数々を、オトグスの内外にかかわりなく、毎回ひとつのテーマに沿った形でご紹介していきます。
■ 第二回目 ■
ポロックとインディアンとアボリジニー

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シュルレアリスムの創始者アンドレ・ブルトンは、その若かりし日に医師として第一次世界大戦に従軍した経験を持ち、彼自らが語るところでは、そこで「フロイトの診断方法に親しみ、戦争中にはそれを患者たちに適用してみる機会がすこしばかりあった」と、そのリスペクトの程を表明してはばからなかった。そんな偉大な先達の歩んできた道程を遡るかのように、彼はルイ・アラゴンとともに、機関誌 『シュルレアリスム革命』 11号(1928)において、シャルコーのヒステリー発見50周年を記念し、サルペトリエール病院の資料室の、恍惚状態や激情状態といった様々な容態を示す女性ヒステリー患者の写真を多数掲載し、あるひとつのイメージの形成を試みた。そして、その最終号(12号)には「ヒステリーは、病理学上の現象ではなく、あらゆる点でこの上ない表現の手段として考えることの出来るものだ」と書き記す。フロイトが、ヒステリーにその歩むべき道を見出したように、ブルトンもまた、シュルレアリスム=超現実の根幹をなすイメージを、そのヒステリーに見出していた。

その、ブルトンがヒステリーに見たものとは何であったのであろうか。また、その表現されたものとはどのようなものであったのであろうか。

先に上げた、A.ブーイエが描く「サルペトリエールにおける臨床講義」の中に、そのヒントは隠されたいる。医師や作家などの様々な聴衆が取り囲む中おこなわれたヒステリー患者の供覧講義、いわゆるシャルコーの「火曜講義」を描いた、この絵の中にも、ブルトン始めシュルレアリストたちがヒステリーに求めたイメージがきっちりと描き込まれている。

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ポール・リシェール 『大ヒステリーすなわちヒステリーてんかんについての臨床的研究』(1885) より

この弓なりのポーズは、ヒステリーを象徴する最もポピュラーな図像のひとつで、「エディション・シュルレアリスト」の名目で、シュルレアリストたちの著書を多数出版していた、パリのジョゼ・コルチ書店の「シュルレアリスム関係図書目録」(1931)の表紙にも

ジョゼ・コルチ書店 「シュルレアリスム関係図書目録」(1931)

マックス・エルンストの手によって、その運動の象徴(女神)として掲げられている。

こうして見てみると、ブルトンを始めとしたシュルレアリストたち(全てではない)が、「それ」としか名付けえぬ広大な精神の源泉「無意識」から、創造的な<何>かを引き上げようと編み出した<オートマティズム>の、その象徴的な担い手に、なぜ三白眼の女性を選ぶのか、

『シュルレアリスム革命』 9-10号(1927) より

創造の糧から引き上げた<詩>を朗読する女性に群がり、表現されたものではなく、その産みの親に目を向けるのか、

詩の朗読をするジゼル・プラシノス

圧巻は、

『シュルレアリスム革命』 最終12号(1929) より

「私は森の中に隠された女を見ない」と書き記されたルネ・マグリットの絵を取り囲む彼らが、黙想するものとはいったい<何>であろうか。それは逆説的に補強された女性なるものの存在であろうか、それとも、そのイマージュの産みの親である「それ」へと向かう何ものかであろうか、おそらく前者であろう。

 

ヒステリーの語源であるギリシャ語の<hystera>は女性の<子宮>を意味する。ギリシア・ローマ社会がアポロン的世界を構築する過程で浮彫りにされた混沌とした不合理なものの似姿を女性なるものの象徴<hystera>に仮託し名付けられた名前がヒステリーである。合理的なるものへの憧憬が更なる加速度を増した近代合理主義的ヨーロッパ社会の中において、アンドレ・ブルトンは、不合理なものとして、そこから排除されたものの象徴として、かつてのギリシア・ローマ人と同じように、ヒステリーにその源泉を見出す。

彼が始めたシュルレアリスムの運動とは、近代合理主義的ヨーロッパ社会がその発展の過程で見失ってしまった、その源泉=超現実との繋がりを、今一度取り戻そうとするものであった。

しかし、そのあまりにもステレオ・タイプに過ぎる<源泉=超現実>に付加されたイメージを見てしまうと、こう言わざるを得ない。それは、ヨーロッパ人のヨーロッパ人によるヨーロッパ人のための運動であったと。

 

そしてポロック

 

ジャクソン・ポロックは、批評家のジョン・バーナード・マイアースにシュルレアリスムから影響を受けたかと問われ、「ある点ではそういえる」と答えた。そして<オートマティズム>について、「描き始める以前からキャンヴァス上に現われるはずのものに対して、製作前から、意識的なコントロールを持たず絵を描くという考え方に影響を受けた」と続ける。

自らユンギアンを自認していたポロックが、意識的なコントロールを行わず、「それ」としか名付けえぬ広大な精神の源泉「無意識」から引き上げようとしていたものとは<何>であったのだろうか。

次回へつづく

第一回目 現代美術と依代

第二回目 ポロックとインディアンとアボリジニー (序章)

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ピックアップ Vol.01 - 鳥の神秘

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J.ディディ=ユベルマン, 谷川多佳子ほか訳

19世紀末のパリ、サルペトリエール病院でのヒステリー患者を中心とした「狂気」の図像学。